猫と私
2018/05/13
我が家の猫プンプン(♂3歳半)が旅立っていった。5月10日の夕方。
私が4月の後半にインドから帰ってきて2週間と少し。
一週間ほど前から食欲がなくなり、それからあっという間の出来事だった。
小さい頃から猫が大好きだったが、マンション住まいのため親からは飼えないと言われていたので、いつの日か猫を飼うことが夢だった。
祖母の家には常に猫がいたのだが、夏休みなどに行くときは猫を追っかけまわして猫に嫌がられひっかかれたものだった。
初めて念願の猫を飼ったのはこちら安曇野に来てからの事。(ちなみに小学6年生の頃「奥の細道」の冒頭を暗記させられ、将来は「庵」に住んでみたいと思っていたがちょうどそんな感じの家だった)
あるとき主人と車に乗っていたら道路際に仔猫が出てきた。通り過ぎたのを引き返して車を止め拾ってきた。それが「ネコ太」。
ネコ太はどのくらいだったかな、4年くらいはいたと思う。(その頃はみかんとシロという犬もいた)
ある秋の日、家出して帰ってこなくなった。
それから黒猫の「みのすけ」
みのすけは正確には覚えていないが、かれこれ10年位前になるのか、アースデイのイベントで踊った時に会場に段ボールに入れられ他の仔猫と一緒にて捨てられていた。アナウンスで飼い主を募っていたので数匹の子猫から黒猫の「みのすけ」を連れて帰って来た。まだ目も開いてなくて二人で交代して猫のミルクを数時間おきに与えて育てた。はじめてウンチをした日と、最初は濡らした綿棒で湿らしておしっこさせていたのが初めて自分でおしっこした日も良く覚えている。おかげで毛並みもつやつやで大きく立派な猫に育った。
小さい頃から活発だったみのすけは今も元気で貫禄のある猫になった。
そして「プンプン」。2014年の秋、東京から遊びに来た友人とこの森の中を散歩していたら少し離れたところから「ニャーニャー」鳴く声が聞こえた。声の方向へ行ってみると、森の道の真ん中の雑草に埋もれるようにして白黒の仔猫が鳴いていた。近くには親猫がいる様子もないし家もない。このままほっといたら車にひかれてしまう。とりあえず連れて帰ろうと思い近づくと、小さいのに「フ―っ」と一生懸命威嚇する。一瞬どうしよう、と思ったが仔猫の取り扱い方を思い出し、首根っこをつまんで持ち上げるとコロッと静かになった。
みのすけは仔猫が気に入らず、見るなりフーっと威嚇した。すると、犬のフーフィー(メス)が2匹の間に入ってウーっと唸り声をあげて子猫を守っている。心温まる光景だった。
プンプンはその時すでに自分で猫トイレでおしっこもできたし、キャットフードを食べることもできたのでほとんど手がかからなかった。みのすけとはまるっきり違って、あまり活発にじゃれたりすることはなかったが温和な性格で怒ったり爪を立てるということはまずなかった。
みのすけが人懐っこく、郵便屋さんのバイクの荷台などにも乗ってしまうような性格とは反対にプンプンは人には臆病で誰かが来るとぴゅーっと逃げてしまった。
でも不思議とヨーガのクラスの最後、シャヴァアーサナで皆がリラックスしている時は入ってきてじーっとしていた。私達夫婦がヨーガをやっている時もお腹や背中の上に良く乗ってきた。
2016年の7月、そのころ住んでいた借家の近くの土地に主人が建てたスタジオに引っ越すことになった。みのすけは主人が通って建てている頃からそっちにも遊びに来ていたので引っ越す前からそっちの方で待ってるようになった。問題は引っ越し準備でバタバタしていたころからあまり家に帰ってこなくなったプンプン。(近くにはいた)一度新居のほうに連れて行ったときは落ち着かない感じで、しばらくすると逃げていったのでどうなるかと思ったが、引っ越し終わってもう一度連れてきてからはちゃーんと新居に帰ってくるようになった。猫は家に付く、という言葉もあるがうちの猫は飼い主についていたようだ。
さて、その年の8月だったかプンプンがよだれを垂らすようになった。だるそうな様子もあったので獣医に連れていくと「猫の口内炎」とのこと。そして猫の口内炎は治らないと。
どうすることもできず、しばらくたってから別の獣医に連れていくと同じ事を言った。ただ、犬用の口内炎の薬が効くこともあるので(完治はできないが)試してみることはできるとのこと。
そんなわけでその時から犬用の口内炎の薬を使い始めた。確かに良くはならないが悪くなることは抑えられた。キャットフードは自分で食べるのがいやみたいで、手に乗せてあげると良く食べた。好物はキャベツと生のお米だった。キャベツがあると飛んできてそのままかじりついたこともあったし、お米をといでいると寄ってきて食べたがった。
口内炎に加えてその頃血液検査の数値に少し異常が出たが、抗生物質がその時は効いたのでそれで済んでいた。それが一年半ほど前の事。思えばそれからどんどん体の中では悪化していたんだろうな。今年5月に入って食欲が落ちてだるそうだったので病院へ。3日間ほど通って点滴したが良くならず。入院を勧められたがそれで治るかどうかもわからないということだったし、病院にいくのをとても嫌がる子だったのでストレスを与えるのはよくないだろう、と考えた末家で見守ることに。
食べなくなって4日間ほど経ち、口が痛いのか水さえ飲まなくなった。翌日の朝に嘔吐。この数日は庭のお気に入りの場所にじーっとしているか、夜は家の中でじーっとしているかだった。その姿を見ているだけで、もうすぐだな、と涙が溢れた。その日の朝よろよろ庭へ出ていき、そのあと私がスタジオでヨーガをしていると来たので中にいれると、私の横にたたずんでいた。その後外に出たがったので出すとまた吐いた。そしてよろよろしながら数か所移動。
そのあと道の方へ出て歩いていくので、もしかして死に場所を探しに行くのかも、と思いながらもそんなよろよろして歩いて行かせることが出来ず痩せて軽くなってしまった体を抱いて家に連れ戻す。子供の頃に祖母の家で猫を追っかけまわして嫌がられたのを思い出した。
執着と愛着があるのは人間の方で猫にはないのかもしれない、とふと感じた。
看取りたいというのもこっちの勝手な気持ちであり、猫の方は一人で静かに逝きたいのかもしれない。それでもほっておけないし、最後まで見守っていたかった。
最後、水の入った器の前で飲みたそうにたたずみ、でも飲めなくてつらそうな姿に、胸が痛んだ。
その日の夕方、プンプンは2時間ほど苦しそうにもがいた後息を引き取った。
翌日の良く晴れて穏やな、美しい静かなしずかな朝。
二人で庭に穴を掘ってプンプンを葬った。満開に咲いているつつじの花と一緒に。
森の中で産まれたプンプンは、森の土に還った。
↑犬の散歩中に近所の家の木の下で佇んでいたプンプンを発見。まるで瞑想しているようだった。
ありがとうプンプン。
かわいい君にいつも癒されていたよ。
君がいないだけで、家の中はとても静かに感じる。
3月の初め、私のインド出発前に窓辺で雪を眺めるプンプン。
この記事へのコメント
飼い主の感性がよく分かる文章で、きっとブンブンも幸せに旅だったのだろうと思います。人間もそうですけれど、生きると言うことは、必ずリスクを背負っている。生きるということは、だからこそ、大切な、大切な時間。うちのパソコンは、亡くなったわんちゃんの画像が背景です。もう10年立ったけれど、その時間を想い出すとき、しあわせを感じます。
シャバアーサナになると、出てきて、お腹の上に、--なんて素晴らしいネコちゃんでしょう。人間も構えていたら、相手に必ず伝わる。そして、それは、知的障がいと言われる人たちの方がすごく、本音と建て前がわかり、本音の言葉を言い、体にスーっと入ってくる言葉。動物ならなおのこと。そういう、本来持っているいい意味での動物の感性を取り戻したいですね。
Posted by 栃木のヨガおじさん at 2018年05月14日 08:32
温かいお言葉ありがとうございます。あれからもう2週間たちますが、なんだかまださみしいですね。以前にも犬は2匹見送ったのですが、一匹はガンで、もう手遅れと言われてから1年半は生きたので心の準備ができたし、一匹は18歳で老衰でした。この子は若くて突然だったので悲しみも大きいのかもしれません。どの子と過ごした時間も本当に掛け替えのない大事な時間です。
Posted by mio at 2018年05月24日 22:17