いわき市 慰問公演 その1
2011/12/30
福島県いわき市に慰問公演に行って帰ってきました。
こちらのほうにいわきから避難してきたファミリーのご縁で、いわき市の保育園「のびのび園」の園長さんのご協力を頂き今回の公演が実現しました。
行く前は放射能のことが心配で、ガイガーカウンターのアラームが鳴る設定値をかなり高めにしておきました。ところがアラームは一度もなることがなく、しかも数値はここ安曇野とほとんど変わりませんでした。
東北とはいえいわき市はほとんど雪の降らない比較的温暖なところ。安曇野のよりあたたかくてびっくりしました。
園長さんはいつもにこにこしている人で、とにかく子供の立場に立った保育がしたいと「のびのび園」をはじめたそうです。彼女の話によると、震災後いわき市の人口は一時半分になって、通りを歩く人もいなかったそう。しばらくしてかなりの人が戻ってきたそうですが、子供のために疎開する家族も多い。
工業で栄えていた町だが、原発事故のおかげで工業も、漁業も農業もダメージを受けた。
私たちがいる間にも子供連れでお母さんが長野県の小諸に疎開するということで挨拶に来た。
お父さんは仕事があるのでいわき市残るそうだ。
そんな光景にでくわして、また一人、また一人といわき市から避難していく人々が増えていくのを見ているのもさみしいかな、と感じた。
つづく、、、
こちらのほうにいわきから避難してきたファミリーのご縁で、いわき市の保育園「のびのび園」の園長さんのご協力を頂き今回の公演が実現しました。
行く前は放射能のことが心配で、ガイガーカウンターのアラームが鳴る設定値をかなり高めにしておきました。ところがアラームは一度もなることがなく、しかも数値はここ安曇野とほとんど変わりませんでした。
東北とはいえいわき市はほとんど雪の降らない比較的温暖なところ。安曇野のよりあたたかくてびっくりしました。
園長さんはいつもにこにこしている人で、とにかく子供の立場に立った保育がしたいと「のびのび園」をはじめたそうです。彼女の話によると、震災後いわき市の人口は一時半分になって、通りを歩く人もいなかったそう。しばらくしてかなりの人が戻ってきたそうですが、子供のために疎開する家族も多い。
工業で栄えていた町だが、原発事故のおかげで工業も、漁業も農業もダメージを受けた。
私たちがいる間にも子供連れでお母さんが長野県の小諸に疎開するということで挨拶に来た。
お父さんは仕事があるのでいわき市残るそうだ。
そんな光景にでくわして、また一人、また一人といわき市から避難していく人々が増えていくのを見ているのもさみしいかな、と感じた。
つづく、、、