その3 気仙沼

3日目は石巻から気仙沼へ。
高速は使わずに海岸線を通る。南三陸町の海岸沿いは壊滅的。改めて被害の巨大さを感じた。
気仙沼市内に入ると道が混み始め、今回仲介に入っている気仙沼市ボランティアセンターについたのが9時近く。まきちゃんはあせりはじめ、車の中で玉ねぎの皮をむき始めた。
今回の炊き出しは仮設住宅と近隣の住民の交流を図るイベント的なもの。
仮設について、駐車場でテントを張ってさあスタート!その3 気仙沼
11時を過ぎるとちらほら人が集まり始める。
その3 気仙沼よーちゃんはチャパティを焼く。
その3 気仙沼スイカを切ったり、ポテトマサラ用にあつあつのゆでたジャガイモの皮をむいたり、、、


12時を回り区長さんの挨拶からスタートし、私も、マヘ―シュワリとサディーシュもあいさつしました。
その3 気仙沼その3 気仙沼
その3 気仙沼

終わって片づけていると仮設に住んでいる親子も手伝ってくれました。
片付け終わってから仮設の親子と、おばあちゃんとみんなで隣の神社へ。
おばあちゃんの家にも津波が来ました。おばあちゃんは3日間も食べず飲まず眠らず、天井につかまって4日目に救出されました。親子は車で高台へ避難。
その3 気仙沼


その3 気仙沼


気仙沼市内ではまだ避難所に500人が生活しているそう(8月1日の時点で)

片付け終わって陸前高田を経由して住田基地へ向かう。
ふと、陸前高田の広田半島のほうを回ってみることにする。木村さんは前回瓦礫撤去した畑のおうちへと車を向けた。いってみるとお母さんが作業していた。そして片づけた場所はちゃ~んと畑になっていた!
挨拶してはなしているとお父さんも出てきた。「みなさんが片づけてくれたので畑になりました」
お父さんは地震の日はすぐに船で沖へ出た。その夜は船で過ごしたが、陸からいろんなものが漂ってくるのでそれを避けて過ごした。朝になって被害の大きさを見て愕然としたそうです。「全国からボランティアの皆さんがきて一生懸命働いているのをみて、わしらもやらねば、と勇気づけられた」という。
みんなで海を片づけて養殖の再開のめどがたったそうです。
お父さんの笑顔を見て、話をきいて、胸がじーんとして、涙がでそうでした。

すこしづつ、すこしづつ、絶望が希望に、涙が笑顔に変わっていくことを祈って。

しばらく私はボランティアへ行けそうもないけど、私たちにできることはまだまだ何かあるはず。
とりあえず、気仙沼の仮設で出会った親子とおばあちゃんに、写真と手紙を送ろうと思います。


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プロフィール
sunanda
sunanda
混沌とした神々の大地で生まれた祈りの舞、インド古典舞踊。
南インド古典舞踊「バラタナティヤム」を2000年より始め、01年より毎年渡印し04年にインドで初舞台。
2012年より東インド古典舞踊「オリッシー」をはじめ、繊細さと柔らかさ、力強さ、神聖さと生命力に溢れるその不思議な世界に魅了される。
インド舞踊の旅はまだまだ続く、、、、。
現在地元長野県安曇野を中心に、イベント、奉納、慰問など活動中。

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