奉納舞
2016/05/09
7年に一度の穂高神社の御遷宮祭にて、二つのインド舞踊を奉納しました。
インド舞踊はもともとヒンドゥー教の寺院に仕える巫女のような女性たちが、神への捧げものとして踊っていました。
それが後に舞台芸術として発展し現在の形になりました。
今回は御遷宮祭ということで例年のお舟祭りでの仮設の奉納ステージではなく、神楽殿での奉納となりました。
神楽殿はちょうど本殿に向かって踊ることになります。つまり安曇野を守っている山々に向かっている。
練習中にふと気が付けば、、、スタジオでもちょうど家の構造上、西側(山側)に祭壇があり、そちらに向かっていつも踊っている。
安曇野に住み始めて16年目。森の奥にある家では水道水ではなく山の水をひいている。
東京で育った私は山の水を飲むなんてことは考えられなかった。
今では水道水を飲むことが考えられない。
安曇野に来てから出会ったインド舞踊。それから毎年のようにインドに通い、数か月滞在して踊りを習う生活。
インドから帰ってくるたびに、安曇野の優しく美しい自然に癒され、日々エネルギーをもらっている。
そして、今年になってこの家を出なくてはいけないことになり、幸いスタジオのある直ぐ近くの土地に移るのですが、そこでは山の水を引けないので飲み水は汲んでくるにしても水道をひかなければいけない。
そうなると当たり前だと思っていたこの山の水を、飲むのにも、生活水にもふんだんに使っていたことが本当にありがたく今のご時世貴重なことなのだと、改めてきずかされた。水は命。
この十数年私を生かしてくれているこの山に、感謝したいと強く感じた。
神に捧げる舞、、、それは神の恵み、自然の恵みに感謝すること。
インド舞踊を通してそんなことが伝えられたらいいなと思う。
5月5日は 東インド古典舞踊オディッシーの奉納。 写真:高橋 康弘
写真 K.Asakawa
8日は 南インド古典舞踊バラタナティヤムを3人で。横田ゆうわさんと私の生徒さんの由美さんと。写真:家田さん
インド舞踊はもともとヒンドゥー教の寺院に仕える巫女のような女性たちが、神への捧げものとして踊っていました。
それが後に舞台芸術として発展し現在の形になりました。
今回は御遷宮祭ということで例年のお舟祭りでの仮設の奉納ステージではなく、神楽殿での奉納となりました。
神楽殿はちょうど本殿に向かって踊ることになります。つまり安曇野を守っている山々に向かっている。
練習中にふと気が付けば、、、スタジオでもちょうど家の構造上、西側(山側)に祭壇があり、そちらに向かっていつも踊っている。
安曇野に住み始めて16年目。森の奥にある家では水道水ではなく山の水をひいている。
東京で育った私は山の水を飲むなんてことは考えられなかった。
今では水道水を飲むことが考えられない。
安曇野に来てから出会ったインド舞踊。それから毎年のようにインドに通い、数か月滞在して踊りを習う生活。
インドから帰ってくるたびに、安曇野の優しく美しい自然に癒され、日々エネルギーをもらっている。
そして、今年になってこの家を出なくてはいけないことになり、幸いスタジオのある直ぐ近くの土地に移るのですが、そこでは山の水を引けないので飲み水は汲んでくるにしても水道をひかなければいけない。
そうなると当たり前だと思っていたこの山の水を、飲むのにも、生活水にもふんだんに使っていたことが本当にありがたく今のご時世貴重なことなのだと、改めてきずかされた。水は命。
この十数年私を生かしてくれているこの山に、感謝したいと強く感じた。
神に捧げる舞、、、それは神の恵み、自然の恵みに感謝すること。
インド舞踊を通してそんなことが伝えられたらいいなと思う。
5月5日は 東インド古典舞踊オディッシーの奉納。 写真:高橋 康弘
写真 K.Asakawa
8日は 南インド古典舞踊バラタナティヤムを3人で。横田ゆうわさんと私の生徒さんの由美さんと。写真:家田さん